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自己紹介

こんにちは!よっしーです。
今日は「自己紹介」を改めて行わせていただきます。


プロフィール欄にも簡単に記載しておりますが、経歴をざっくりご紹介します。
1985年新潟県に生まれる
幼少期はとにかく泣き虫
学生時代はかっこつけからいじめを受ける
大学生のときにクラブに出会い人生に転機
新卒で東京のIT会社へ。燃え尽きて地元へ帰省
2社を経て、mixiを通じて出会った仲間と100人規模のイベントを主催
結婚、2015年に第一子誕生
イベントのつながりから街コンを主催し、そのまま仲間と起業
その会社から一念発起で独立
離婚
2019年初旬にうつ病になり入院
春に復活し、2回目の人生の転機を迎える
現在

という略歴になります。
なぜ、このブログを書くのか、現在の心境にいたったのか、そして、人生の転機の中身を詳しくお伝えしたいと思います。

僕の性格はまさに破天荒というのにふさわしいと思います。自分勝手で、とにかく行動派で、考えるなんてことは一切してこなかったと思います。
不自由なく育ったこともあり、なんでも思い通りにいかないと気が済まないそんな人間でした。

学生時代にいじめをうけたことは、僕の中でも大きなエネルギーになっています。当時は劣等感のかたまりでしたが、今現在となっては、その負のエネルギーが絶対見返してやるという、行動の原動力になっています。

そして、大学生のときです。人生で初めての転機が訪れます。
当時僕はなにかに挑戦したいという気持ちでいっぱいでした。
そこで、テレビCMで地元で映画の撮影が行われ、その主役を募集するオーディションの告知が放送されていました。
僕は意を決して応募しました。面接は合格したものの、多数の合格者に対し、養成所への勧誘をされ、結局そういうことかと思い、辞退しました。

本当に悔しかったです。人生そんなに甘くないとそのとき実感しました。
しかし、僕の情熱はとどまらず、なぜかわかりませんが、ゲームセンターのアルバイトを気づいたらしていました。

そこである人物Nに出会います。そのNは僕と同い年で明るく、僕と似た感じのオーラを出す人でした。彼の言動「クラブにいかない?」から僕の人生は一転します。

好奇心におぼれている僕は即座に返答し、翌週には行動していました。
実際にいってみるとそこには今までにみたことのない世界がありました。世間一般としてはクラブのイメージはよくないと思います。

しかし、僕には当時天国かと思う空間がそこにはありました。
なぜそう思うかというと、仲間ができたことです。

同じ趣味をもつもの同士、笑顔で交流し、たわいもないことで話し、夢を語り合う、そんな時間がなにより僕は心地よかったのです。

その経験は僕の今の礎となっていると思います。学生時代はそこまで社交的ではなく、どちらかというと根暗な方だった僕が、活発的に行動するようになり、信頼できる人ができた、そんなことがなによりの自信になりました。

その波紋は県内だけでなく、県外までの仲間まで届きました。
あれから15年たった今でも、親友と呼べる仲間がいます。時代の波もあったと思いますが、その数年は本当に僕の人生を華々しくさせたと思います。

その流れで、出会った仲間とクラブイベントを主催するようになり、僕のイベント作りに対しての情熱がここで出来上がります。

その後、卒業と同時に東京の会社へ就職。社会人の荒波にもまれ、僕は何度も折れそうになりながらも3年近く邁進しました。
しかし、ひょんなことから退職し、地元に帰省します。
僕は大学生のときから、心のどこかに地元で起業をしたいという想いがありました。

しかし、その想いと裏腹に、地元に戻ったとたんに力がなくなり、ニートになってしまいます。
一種の燃え尽き症候群だと思います。

その後元気になり、2社を転々としたのち、当時ブームだった、mixiというSNSのコミュニティを通じて、BBQを企画するようになります。

その熱は瞬く間に広まり、300名近くの参加者を呼ぶ大規模なイベントになりました。
そのときの仲間も僕にとっては一生の財産ですし、人生に大きく影響を与えました。

そのBBQイベントを通じ、出会った仲間と2011年当時全国ではやり始めていた街コンを新潟でもやろうとチームが組まれ、通称潟コンが生まれました。
2019年の現在でも10万人以上を集客し、1,000組近くの結婚数を生み出した新潟の歴史に残るイベントになりました。

その後、僕は一念発起し、学生時代に思い描いた独立を行動に移しました。
2018年6月、当時の会社から事業を引き継ぎ、イベント、芸能事業として独立します。

しかし、その数か月後、5年の結婚生活に終止符をうつことになりました。
それが2018年末のことです。

そこから徐々に僕は体調を崩すようになり、2019年1月、うつ病になってしまいました。
誰が、うつ病になることを予想できたか。少なくとも僕は一切予測できませんでした。

朝、目が覚めるのに、体が動かない。
頭と体と心がバラバラになった。そんな感覚でした。

なぜうつになったのか?
今思えば、一言。

「自分でなった」

というべきだと思います。

要因はたくさんあります。仕事、健康、人間関係、お金。
すべてがいつのまにかぐちゃぐちゃになっていて、それを処理することが不可能になったのです。いや、不可能にしたのです。

自分があまりにずさんで、未来の自分に負担をかけてきた結果なのだと思います。

このブログを書いている現在、僕は復活し、その当時の状況を俯瞰してみていることができています。

うつ病治療中に感じたことは、別の記事でたくさん記載していますが、僕がこのうつ病になったことが今では、本当に良かったなと感じているのです。

冒頭のうつ病が転換期になったと書いてますが、生まれ変わったと思っていいくらい自分が変わったと思います。
詳しくは、変わらないといけなかったです。

経歴をみていただきわかるように僕は考える前に足がでてしまう人間で、それで得たものは確かに多かったのですが、自分のことしか考えられないダメな人間だったと感じています。

たしかに20代までは感覚だけで生きていける部分はあったし、楽しいだけで満足に過ごせました。しかし、30代の今、それだけじゃいい人生は送れないと気付いたのです。

僕は心のどこかで自分さえよければいいと思っていたのでしょう。
その天罰がうつ病であり、神様がそれではダメだと教えてくれたのだと思っています。

人生で初めて、自分でどうにもできない壁にぶちあたった瞬間でした。
うつ病の患者の多くが思い描くことが「死」です。

僕もその言葉が何度も浮かびましたし、行動もしてしまいました。
しかし、そのどん底から這い上がってきました。

今思えばなんであんなことをしたんだろうと後悔しかないです。
もし、このブログを読んでいる方でこのような行動をとろうとしている人がいるなら、待ってください。必ず治ります。必ず事態は変わります。
その言葉を信じてほしいと思います。

実際、僕はまだ完治はしていないと思いますし、うつ病は再発する病気です。安心はできないのです。しかし、治らない病気ではないです。
不治の病ではないのです。

僕は破天荒な人生を送り、なかなかいないくらい紆余曲折な人生でしたが、自分をコントロールできなくなることは初めてでした。

しかし、僕はこのどん底の経験は人の為になるのではないかと思ったのです。

以前の記事にも掲載しましたが、うつ病患者は世界に3億人います。
僕と同じ苦しみを持つ人が日本の人口の2倍以上もいるのです。

もし、僕の経験が役に立ち、そして、1人でも死から逃れることができるなら、僕がうつ病を経験したことが無駄じゃないし、人の勇気になれると思うととにかく今できることを必死でやろうと、このブログをつくろうと決意したのです。

僕は精神科医でもないし、専門の知識をもっているわけでもないです。しかし、僕の経験してきた、いじめ、イベント、結婚、子育て、離婚、独立、うつ病は僕にしかできない経験だし、僕にしかできない目線でのうつ病克服はあるのではないかと思っています。

うつ病は、大人だけでなく、子供のいじめ自殺、シルバー世代の自殺などにも及びます。
今現代は便利という名のもとにコミュニケーションのあり方が変わっています。その弊害もまたうつ病を引き起こす原因になっています。

顔と顔をあわせないデジタルのコミュニケーションはリスクがとても多いです。僕はこの便利というデジタル、テクノロジーはうつ病により自殺者を増やすと考えています。

これから先、もっともっと技術は進化し、人はコミュニケーションのあり方を変えていきます。その中で僕ができることはこの弊害の被害者になる人を1人でも救うことだと考えています。

不安、悩みは一生つきまといますし、消え去ることはないでしょう。
しかし、あえて僕は消し去ることを目的にブログ、SNSを通じて伝え続けていきたいと思っています。

まずは日本にいる100万人のうつ病患者です。
日本には100万人の患者がいるとのことです。

この人数は1つの県人口に値する数です。
とても危険視する人数だと思います。

うつ病に対しての社会的認知はまだまだ弱いし、対策も有効な手立てがないのが実情です。

そして、僕が入院中に必死にうつ病の情報を探しましたが、本当に正確な情報がなく、正直、希望がなかったという感想です。

ただ、うつは、がんや成人病と違って、自分で治すことができるし、予防することができる病です。

実際、僕も投薬、お医者様の協力はありましたが、自分で治すを強く意識し、3か月でここまで復活することができました。

僕は、この闘病経験を広く世の中に発信し、常に不安、悩みと戦い続けていきたいと思っています。そして、テーマにあるように、不安を世の中から消して、100万人のうつ病患者を救いたいと思います。

最後に、この場を借りて、
両親、兄弟、仲間、同僚、病院の方々に治療に寄り添っていただいたことに深く御礼申し上げます。

今後の小出佳史(よっしー)の活動を温かく見守っていただければ幸いです。