【リライト】出産という命の行事

こんにちは!
今日は「出産という命の行事」についてです。

僕は、一児の父親です。
出産することについて、考える機会があったので、そのお話をしたいと思います。

出産は女性のみができる行事です。

しかし、これは、お祭りでも、遊びでもありません。命をかけた出来事です。
僕は4年前にその命をかけた出産を初めて目の当たりにして、驚きと感動に包まれたことを覚えています。

当時は、出産すれば当たり前に元気な赤ちゃんが生まれて、すくすくと育つと考えていました。
しかし、出産に当たり前はないし、何の苦労もなく生まれてくるということはないのだなと強く実感することになります。

僕は男性なので、体験したくてもできません。しかし、女性になったつもりで感情を表現してみようと思います。

まずは妊娠発覚前後の悪阻。これが最初の壁でしょう。2日酔いの状態で100回回るとか、ウイスキーボトル一気するような感覚だといいます。

本当につらいの一言ですよね。

お酒を飲んだわけでも、乗り物でも、風邪でもないのに、嘔吐するというのは、体が拒絶しているかのような感覚で、自分でどうにもできないという感覚が絶望感すら生んでしまうかと思います。

次に、胎動期
動き始めるころには、おなかもでてきて、日々の行動が限定されていきます。洋服も切れなくなり、体を積極的に動かせなくなります。自由に行動できないというのは、人生でも苦痛の一つだと感じます。

特に、臨月ともなると仕事を休職する場合が多いと思います。
僕自身もすごく反省していますが、「家にいるから楽でしょ」という感覚、これは本当に思ってはいけないことです。24時間赤ちゃんを抱っこしているような状態で、力のある男性でもその状態はかなりの行動制限と疲労を生みます。
特に臨月は最低限の運動行動以外は、休息して体にパワーをためるべきだと思います。

そして出産。
僕は立ち合いました。その光景は今でも脳裏に焼き付いてますし、忘れられないでしょう。

人が動物であり、人が生まれるということが、奇跡なのだと思わされる瞬間でした。
父親になる人には赤ちゃんは当たり前に生まれてくるのではない、生まれることすら奇跡だと心に刻んでほしいです。

お腹の中からでてきて、そして、初めて泣いたときの感動は、人生でも最高の瞬間だと思います。

人は物事になれていく生き物で、それが、悪い意味で当たり前になることが一番人をダメにしてしまうと思います。

カタチのない状態から人として生まれてくることは、何億と偶然の中から生まれた奇跡だと思います。

その奇跡を夫婦が力を合わせ、育てていくことは、当たり前のことではないと思います。
僕は、離婚をしており、現在、娘とは離れて暮らしています。

毎日、毎日、生まれた日のこと、初めて歩いた日のこと、パパと呼んでくれた日のことを思い出します。

父親としてそばにいてあげることができず、本当に申し訳なく思うと同時に、離れていても、今できることをやろうと思っています。

離れているからこそかもしれませんが、今思うと出産を経験できたことは僕の人生の宝物ですし、当たり前なこととは存在しないと思わせてくれた瞬間です。

お金や仕事、人間関係などは、なくなってもまた復活できます。しかし、命は復活することができません。

これから出産を迎える方、特に父親になられる方、当時の僕へ、出産は命の行事です。それを忘れないでください。

別記事にて育児などについても書いていきたいと思います。
今日は「出産という命の行事」についてでした。

では!

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