人間関係

善い人間できちんとやれば愛される【勘違いである】

こんにちは!よっしー2.0です。
今日は「善い人間できちんとやれば愛される【勘違いである】 」についてです。

完全に過去の僕の感情と向き合ったテーマになります。

身の回りで、仕事ができ、見た目もきれいで、悩みもなさそうなのに、
恋愛においてはまったくという人がいませんか?

なぜ、そんなことになってしまうのかを今日はご紹介していきます。

今回の参考書籍はこちら

[itemlink post_id=”697″]

ナイスガイ症候群という病気

皆さん、ご存知ですか?

世の中にはこんな病気があるらしいです。(正式な病気ではないです)

今日はこのナイスガイ症候群という病気を深堀りしていこうと思います。

ナイスガイとは、つまり、善い人です。

[aside]ナイスガイな人たち
・なんでも妻の言いなりになるおじさん
・誰からものを頼まれても断らないのに、自分の生活はめちゃくちゃ
・きちんとした人生を送っているようで、ある日爆発して、すべてを台無しする[/aside]

僕はうつ病の闘病中にこの本を見つけ、夢中になって読みました。

ナイスガイたちの特徴

[aside type=”warning”]共通の特徴
・世話焼き:頼まれてもいないのに問題を解決しようとする
・欠点やミスを隠す:ばかにされたり、怒らせることを恐れる
・正しい道を求める:何事も正しいやり方され見つければすべてうまくいくと信じている [/aside]

代表的で、過去の僕の例を挙げました。

必ずしもこのことが悪いというわけではないのですが、こういった特徴が重なると、ナイスガイに近づいていきます。

ナイスガイはいいイメージのような響きですが、この記事においては、実際の行動というよりは、自分自身や、周りの世界について持っている信念が、本当にナイスかどうかが問題です。

ナイスガイは不誠実

要は、自分がナイスであれば愛され、望みをかなえられ、完璧な人生を送れると思い込んでいることが問題なのです。

自分のミスを正義のために隠したり、いさかいを避け、相手はこういってほしいのだろうと自分で推測したことしか口にせず、自分の感情は殺す。

=本質的には不誠実だということです。

僕自身もまわりにいい人と思われたい、完璧だと思われたい、秘密主義で、実際は不誠実なのかなとも思っています。

例えば、書籍によると、ナイスガイは見返りを求めるとあります。

人のために尽くす寛大な人ではあるが、一見他者のためにやっていても実は意識しないまま、見返りを求めていることが多いなど、とても当てはまる気がします。

ナイスじゃない思考

もし、自分の欠点を隠すことができ、人が私にこうあってほしいと望む人間になることができれば、私は愛され、望むものを手にし、悩みなき人生を送れるはずだ。

そして、その問題が解決できないときに思いつく思考は、

「もっと頑張ろう」です。

じゃあどうあるべきか

原因を数々お伝えしてきましたが、どうすべきかというと、

[aside]ナイスガイを変えるには
・自分を認めてあげる
・自分を大事にする
・自分を打ち明ける [/aside]

ありのままで、正直にいるということです。

善い人でいて、その化けの皮がはがされてしまえば、相手を傷つけることになり、自分もそんなはずじゃなかったと衝撃を受けます。

ありのままでいることを否定してしまった

人間、ありのままでいることは正直難しいと思います。

僕もかっこよく見られたい欲が非常に強かったので、弱い自分や、ダメな自分を隠し続けてきました。
しかし、そうしていくと、だんだんと生きづらくなっていき、やがて自分を苦しめることになります。

簡潔にいうと自分にうそをつき続けていると、そのツケがいづれ自分に返ってくるということです。

愛されるためには善い人間にならなくてはいけない

これは決定的な要因です。

愛される人=善い人。

善い人が愛されないわけではないですが、愛されるには善い人になるしかないという思いこみが危険ということです。

もちろん、人は人の長所やいいところを好きになるでしょう。
お金持ちだったり、地位があったり、顔がよかったり。

しかし、お金持ちだからといって、全員が善い人とか限りませんし、短所を支えたいとか、できないことを受け入れ努力するからこそ愛されるのだと思います。

できないことはできない。
苦手なことは苦手としっかり自信をもって言えることが大事だと思います。

まずは自分を認めてあげよう

先ほどお伝えした通り、本来の自分ではなく、嘘の善い人を演じて、自分を傷つけないでください。

弱い自分も、ダメな自分もすごい自分も全部受け入れましょう。

もちろんすべての事柄を完璧にこなせるようなたぐいまれな才能をもっていれば別ですが、
ほとんどの人がそうではなく、なにかに特化すれば、なにかが抜け落ちます。

そこに人間らしさというものがあると思います。

僕は以前の記事で書きました、瞑想を毎日することで、自分と向き合う時間を作っています。
瞑想については下記記事にてご紹介しています。

[kanren postid=”243″]

自分の為に生きよう

最後に、人に貢献したり、人の為に生きることは素晴らしいことです。

しかし、自分が自分で満足できない人生というのはとても悲しいことです。
自分を安心されられないのに、人を安心させられないし、自分が幸せじゃないのに、人を幸せにはできません。

ブログにてよく僕は書くのですが、好きなことをやって、その溢れたものを分かち合うことが人生だと。

僕もブログを書き始めて、自分の為に書いていますが、アウトプットすることによって、皆様にも少しお裾分けできればと思っています。

正直、このナイスガイ症候群の本には、もっと早く出会いたかったです。(泣

ナイスガイ症候群についてはまだまだ書ききれないので、vol.2へ続きます。

今日は「善い人間できちんとやれば愛される【勘違いである】」についてでした。

では!