こんにちは!よっしーです。
今日は、「当たり前は存在しない」についてです。
日々を生きてることに毎日感謝しています。って方は少ないんじゃないでしょうか?
僕もそうです。
でも、当たり前は存在しないんですよね。
それは、きっとなにかを失ったときに気づくことですよね。
人は世に生をうけたときから、死に向かっていきていきます。
僕は生きるってことは死なないようにがんばることなのかなって最近は思っています。
うつ病になったときに、実際死を意識したことがありました。
これはうつの典型の症状ですべてが自分の責任だ。死んで詫びるしかないという思考に陥ることです。
でも、いざ死ぬことを考えたら思ったんですよね。
死ぬのって怖い、死ぬ前にもう1回やってみようかなって。
もう1回チャレンジしてみようかなって。
そう思ったんです。
僕が34年生きてきて、初めて生きてるってことが当たり前じゃないと思った瞬間でした。
それと同時に人に生かされていたんだな。と強く感じた瞬間でもありました。
現代は、さまざまな文明が進化していて、食べることだったり、生きることにフォーカスすることはなくなってきていると感じます。
僕が考える当たり前はを感謝できないこととして下記があります。
・欲に溺れる
・コンプレックスの異常化
・便利の本質
なんとなくですが、こんなイメージですかね。
1つ目の欲に溺れるは、
そのままですが、SNSの進化、テクノロジーの発展によって、今の日本はモノにあふれ、欲が暴走していると感じます。
僕もその中の1人でした。しかし、これだけは言えます。モノを買うことによって幸せになることはありません。断言できます。
身の回りのものを見てみてください。よくわかるはずです。
2つ目のコンプレックスの異常化
これは、僕が入院中に読んだアドラー先生の書籍で初めて知ったのですが、コンプレックスには、劣等と優越があります。
劣等は皆さんご存じだと思うのですが、優越というコンプレックスも存在します。
つまり、人に優越感を抱かないと自分を保てない人です。正直これは劣等よりも重症で改善が難しいと感じます。
劣等コンプレックスはそれを解決するために自己を磨くことが努力になり、解決もできると思います。
しかし、優越は、それなりの時間と他者の協力が必要となります。このタイプの人は感謝と謙虚さに欠けています。
まずは自覚することから対処していくべきかと感じます。
3つ目の便利の本質については、
常日頃から世の中には便利なものがあふれ、新しくつくられていきます。
さて、質問です。本当の便利とはなんでしょうか?便利だと思ってたものが別の意味で重荷になっていませんか?
当たり前は存在しないというテーマにおいて、この3つは重要だと僕は思います。
まずなにより、生きること自体が当たり前でないことを認識するだけで日々の行動も変わり、人に対しての考え方、接し方、自分との向き合い方も変わると思います。
皆さんの周りにあるものから当たり前を見直していき、気づいたときに感謝してみませんか?
今日は「当たり前は存在しない」についてでした。
では!