人間関係

人と対立してしまうときの心の在り方【無駄な血を流さないために】

こんにちは!よっしー2.0です。
今日は「人と対立してしまうときの心の在り方【無駄な血を流さないために】」についてです。

社会人になり仕事をしていると、時として人と対立してしまうことがあります。特に、僕のように個人事業や、経営を始めると金銭や契約などで取引する上で問題がおきることがあります。もちろん、友人関係や、家族関係においてもそうで、2人以上の人間関係があれば必ず争いが起こります。

おそらく、どこの会社、場所、地域でもそのようなことがおきたことがあるのではないでしょうか。

今日は、対立してしまうときの対処法をお伝えします。

今回の参考書籍はこちら

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秘密主義

人は立場や環境において、自分の考えや主張がでてきます。元々の性格などもあると思いますが、人は不安になると「利己的」になります。

つまり自己中心的な考え方になってしまいます。

僕も含め、皆さんも過去を振り返ればその経験はあると思います。誰かと対立したり、言い合いをすれば、誰だって、自分が正しいと主張するはずです。

僕は、サラリーマンから個人事業主になってから立場が大きく変わったことで、その考え方についても大きく変革することになりました。

独立当初は俺は社長だ!偉いんだ!という感情に苛まれ、自己顕示欲と自己中心の塊のような愚かな存在になっていました。しかし悲しいことに、この現象は独立した人ならだれでもあると思います。

人は調子にのったり、立場が急に変わったりすると自分をよく見せようと、無理をし始めます。僕も例外なくそのパターンでした。

つまり、秘密主義になっていくのです。

そうすると社員や、友人、家族に対して、隠し事をするようになっていきます。そうなると参考書籍にあるように病に陥るのです。

ガラス張りになろう

秘密主義になると、どんどん人間不信になります。勝手に疑われている思ったり、怪しいと思われているなどです。

僕はそんな中で今年初頭のうつ病を経て、僕の考えは一変しました。

ガラス張りの心でいようと。

隠せば隠すほど、人は不安になります。僕は不安の塊になり、自分からどん底に落ちてしまったと思います。

平成までの会社の在り方は、上司部下の関係は徹底されていて、お互いのことはまったくわからない中で会社で働くというのが当たり前でしたが、今この時代は、ガラス張り経営が必須だと思うのです。良いことも悪いことも関係者に共有して、ありのままの自分で関わっていくことが大事だと思います。

社員の声を受け入れる

組織は大きくなればなるほどコミュニケーションがとれなくなります。僕は2社人数規模で言えば大きな組織にいたので、よくわかります。

特に現場と経営層という離れた環境において、声をきくことはとても難しいことです。

[box class=”red_box” title=”現場と経営のずれ”]・現場→顧客や都度の状況に応じて動く
・経営→数字や会社の在り方にこだわる
[/box]

見ているところが違う分、意見もかわってくるでしょう。

だからこそ、お互いの思っていることを素直にヒアリングすることが必要なのだと思います。特に経営層や現場の意見や考えを受け入れるか入れないかでその会社の雰囲気とモチベーションは大きくかわると思います。

他人のアドバイスを素直に聞く

これは会社関係に限らず、人対人の関係において、アドバイスは素直に聞くべきだと思います。
相手がだれであれまずは意見を受け入れましょう。

それを生かすか生かさないかはあとで決めればいいことです。

誰からもアドバイスをされなくなったらおしまいだと僕は思います。

人に支えられていることに気付く

人はどんな人も普通の人です。特別な環境に生まれたということはあっても、特別な人ということではなく、人は誰でも人と支え合って生きています。

これを慢心から自分は1人で生きているなど勘違いをしてしまうとどんどん人から見放されてしまいます。

立場ある人ほど、普通である勇気を持ちなさいと言う言葉はあります。

自分は普通で人に支えられて生きていると気付くことによって、無駄な争いやストレスから解放されます。

本当に大切な人はあなたから離れない

テーマに戻ります。
人と対立したときに互いに言い分はあると思います。しかし決定的な違いがあります。

[box class=”red_box” title=”対立の違い”]・主張の対立:相手の意見を否定している
・相手の批判:相手自体を否定している
[/box]

この違いです。

もし、本当にあなたを大切だと思うなら、意見や考えを否定しても、あなたから離れることはないでしょう。対立することを人自体を批判するようなことをしていると周りに誰もいない人生になってしまいます。

争いは悲しみしか生まない

人間を否定し合うことは悲しみしか生みません。僕もその経験があるので、よくわかります。まだ裁判までの経験はありませんが、テレビやドラマなどで見ている分には本当に醜くどちらにも悲しみしか残らないのだなと思ってしまいます。

もちろんお互い絶対譲れないものがあって争いは生まれるものです。しかし、白黒つける争いには、その先に幸せはあるのでしょうか。。。

僕自身がどちらの立場になろうとも、なにかを奪いあったときに手を先に離したほうがいいと思うのです。もし、それで掴みとってもその先は不幸が待っていると思うからです。

プライドなんて捨ててしまえ

ただ、手を離すことはとてもプライドが傷つくし、苦しいと思います。しかし、プライドなんていうものは一瞬のことで、数日も経てば忘れてしまうものです。

僕は必要なプライドと不必要なプライドをわけるようにしています。何事も思い通りに進むことは人生においてありえませんが、自分のプライドにおいて結論づけることは可能です。

結果を受け入れ、それをどう結論とするかはあなた自身の問題です。

奪い合うと足りない 分け合うと余る

対立についての記事でしたが、最後にこの言葉を書こうと思います。

世界的な名言ですね。

日本人は災害時に分け合いの精神から、外国人から並んで食事を待つことを素晴らしいと絶賛していたそうです。僕はこれが日本人の美しさなのだと思いました。

「分かち合い」

この言葉は僕がうつ病の時に病院で読んだ本に書いてありました。今までの僕は分かち合うことができていたのか、、そう問い続けています。

1つだけ自信がもてるようになったのはこのブログです。自分の地獄のような経験を、こうやって分かち合うことで、だれかを救えればと思っています。

この世界は自分自分になると人は離れ、そのツケが回ってくると相場は決まっています。分かち合うために自分を強くし、対立するときはプライドを捨て、潔く手を離しましょう。

奪い合ってはいけません。分け合う思考で、人を支え、支えられて人生をいいものにしたいものです。


今日は「人と対立してしまうときの心の在り方【無駄な血を流さないために】」についてでした。

では!